『父親』『母親』『自分』思春期過ぎてもまだ足りないらしい。
「お父さんは何歳になるの?」
「お母さんより7歳年上だから…77歳かな。おっ。そうすると、もうすぐ死ぬな!」
「ひで~。」←旦那
ども、ナミです。
父方のお爺ちゃんが80代で亡くなってるんで、
そろそろお迎えの準備ですね(笑)
若い頃は「死」に対して悲観的な考え方でしたが、
今はそうでもないです。
よっぽどの事がなければ大抵の人は天国に行けるみたいだし、
この世でも色々とまっとうしてそうな父親は、
そろそろお迎えが来てもいいんじゃないかと思います。
父親は父親の人生ですから。
それはさておき、
心の問題についてです。
思春期に葛藤があった人も、
思春期に葛藤がなかった人も、
やっぱり心の中には父と母の影響が残ります。
例えば、
私の母親はスーパーでの品物の価格やチラシ情報、
ポイントの貯め方などが得意で、
店ごとに比較もします。
私は20代以降はそれが出来ないと、
立派な大人(母親)にはなれないんだと思い込んでいました。
だけど、そんな事はないんですよね。
それをやらなくても家計は回ります(笑)
その事に気が付き、母親の見本を捨てて自分のやり方を習得するのに何年もかかってしまいました。
父親からの、
「学歴 = 立派な人間」という先入観もありました。
(でも、何かが違う…。)と無意識ではわかっていても、理論的にそれは間違いだと明確に説明出来るようになるまで、
これまた何年もかかってしまいました(笑)
これは極端な例ですけど、
小さな事も、まだ心の中で眠っている場合があります。
逆に、無い人の方が少ないです。
自分が子供の頃に、親を見て感じた感情。
継続的な感情もあれば、
瞬間的な場面での感情もあります。
大人になってからそれを思い出して、
当時と同じように感じたり、
小さな自分を慰めてあげるといいみたいです。
そうすると、
人生で行き詰まってたらまた道が開けたり、
体の不調が改善したりするんだって。
思春期だけじゃ、
『親』と『自分』は切り離せないんだね~。
よく「親を超えられたか?」って問われる時があるけど、
結局のところ、
親と同じ年齢にならないと分からないと思います。
つまり、
親が死んだ年齢に自分がなった時に、
初めて、
精神的に豊かだったか?
経済的に豊かだったか?
社会に貢献できたか?
を比較出来るようになるということ。
だって、
自分がどの年齢で何をするかなんて、
現時点では分からないんだから!!
だから父親のお迎えを待ってるって訳じゃないんだけどね(笑)
時々、自分の中にいる子供たちを見てあげてね。
てなことでした!
んじゃ、
またねー。